東日本大震災から、丸4年

2015年3月10日火曜日


東日本大震災から丸4年が経過した。

先日のニュースで、警察庁が2月末までに確認した死者と行方不明者は、1万8,479人となっていると報じていた。

また、避難生活などで亡くなった、いわゆる「震災関連死」を含めると2万1,672人に上っているとのこと。

あらためて、「未曾有」という言葉の意味を噛み締めている。

どのような事件も、時間の経過と共に記憶が薄れ、意識も風化していく運命にあるもののようだ。

ここで言う「意識」とは、被災地を応援する気持ちや、大災害への備えの意識、危機意識などである。

実際、被災地応援企画としてのイベントなどへの参加者も激減しているのが現状のようだ。

それはある程度はしょうがないことだとしても、今後に向けて真剣に考えるべきだと思うことは、「過去の震災の教訓を生かす」ということである。

震災の翌日から、被災地の状況が刻々と報道された。

状況が分かってくるにつけて、被害者の人数の多さに驚愕しながらも、あちこちの事例で聞こえてくる「過去の震災の教訓が生かされなかった」という言葉に胸を痛めていた。

自分自身の企画で被災地の現状を知ってもらうイベントなども実施してきたが、焼け石に水、無力感を感じながらも「出来る限りのことをやろう」と言い聞かせてきた。

 

丸4年目を目前にして、今後の関わり方を考えている矢先、素晴らしい本に出会うことになった。

大船渡の友人である木下繁喜さんの「東日本大震災被災と復興と ~岩手県気仙地域からの報告~」である。

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木下繁喜さんは、地元気仙地域(大船渡市、陸前高田市、住田町)をカバーする新聞「東海新報社」の記者だった方で、ご自身も津波でご自宅を失い、ご家族と仮住まいを余儀なくされている方である。

被災ドキュメンタリー本かと思いきや、タイトルどおり、これは「復興」にスポットを当てた本である。

木下繁喜さんは言っている。

「震災の地に暮らす立場で直面した被災と復興の現実、その中から学んだ教訓などを伝え、来るべき震災の悲劇を少しでも減らすことができればとの願いで、この本を書くことを決意した」と。

いくつもの出版社から「震災本はもう売れないので」と断られる中、彼の執念が実を結んで「はる書房」からの出版が実現。

正に渾身の一冊である。
第一章「復興とは何か」では、著者の地元大船渡市で行われた土地区画整理事業をはじめとした、自治体の復興行政への問題意識から始まる。

震災で自宅や家財などを失った人たちにとって、土地は残された『最後の財産』であり、生活再建の拠り所。
その土地を減歩したり、実際の購入金額より低い価格で買い取る行政の震災復興事業が被災した人たちの苦悩に追い打ちをかけ、土地区画整理事業が、民間の自助復興の動きに冷水を浴びせた。

行政の事業や規制が往々にして、民間の動きを止めてしまう事例として、木下さんは力説する。
大震災の「前例」である、阪神淡路大震災についても、木下さんはよく勉強されており、『震災復興土地区画整理事業による人口変動~兵庫県南部地震後、芦屋市からの報告』という関西学院大学災害復興制度研究所の客員研究員・西隆広さんがまとめたレポートの事例を紹介している。

このレポートの『あとがき』で、西さんは「地震で壊れた金魚鉢を前に、放り出されもがく金魚をほったらかしにして、鉢をいかによりきれいに直すかで騒いでいる」という比喩を用いて、被災して苦しむ人たちの生活再建を置き去りにして進められる行政の復興のあり方を糾している。

第二章「被災するということ」では、ご自分の被災体験も交えて、大船渡市と陸前高田の被災の現状をレポートしている。
被災者であり、被災地を取材した地元新聞社の記者だからこそ書ける「語られなかった悲劇」や「被災しなかった人たちの困窮」は、新たな感慨を読む者に呼び起こす。

第三章「防災、減災の課題」では、地震が起きた際の対応、求められる避難所のあり方など、今後への問題提起が冷静にされている。

第四章「一日も早い復興のために」では、復興行政への提案を行っている。

第五章「神戸市長田区を訪ねて」では、大正筋商店街振興組合理事長への特別インタビューを中心に、阪神淡路大震災20年の現実の振り返りを行っており、「過去の教訓に学ぶことが重要」という氏の考え方に説得力を与えている。
この本で自分が最も得心したのは、第四章「一日も早い復興のために」の、「3:復興計画は平時に作る」である。

木下繁喜さんは、瓦礫が撤去された後、いくら歳月が経っても代わり映えしない光景を眺めながら「震災が起きてから復興計画を作っていたのでは、復興は進まない」と痛感したという。

事前に作られた復興計画があったため、素早く復興を成し遂げた事例が、戦後間もない福井県福井市にあるという。

福井市は1945年(昭和20)年7月の空襲で市街地の大半を焼失。

市当局は終戦後すぐに「戦災復興都市計画」を作り、復興事業に着手していた。

その後の1948年6月、福井県を中心として、最高震度は6、地震の規模を示すマグニチュードが7.1という直下型地震「福井地震」が発生。

家屋の全壊は福井県と石川県で合わせて3万5000戸を超え、死者は福井市を中心に3,796人に達した。

その大地震から一ヶ月後、今度は集中豪雨が福井地方を襲い、地震と集中豪雨という泣きっ面に蜂の複合災害の中から、再び復興を目指すことになった。

福井市にとって幸いだったのは、戦災復興都市計画を策定していたことだというのである。

計画対象地域が地震の被災地域とほぼ重なることから、計画の一部を手直しして「震災復興都市計画」に変更することで、素早く震災復興に着手することができ、地震から4年後には復興ぶりをアピールできるまでになったのである。

内閣府「防災情報のページ」には、中央防災会議の災害教訓の継承に関する専門調査会の報告書「1948 福井地震」が掲載されており、その中で、福井地震から学ぶ10項目が紹介されている。

【福井地震から学ぶ10の教訓】

①地震はどこでも発生する、と考えなければならない。

②地震の予知はまだ出来ず、地震は不意打ちに発生するが、過去の地震災害に学び、その教訓を国民が共有しておくことが重要である。

③地震探査や微地形などを通して、地域や自分の“災害環境”を知ることが、防災対策の実践を促す。

④建造物の耐震改修の推進は、地震防災の基本である。

⑤木造密集市街地が存在する日本の都市では、地震災害の防御は重要な課題である。

⑥復興対策も事前に準備しておく「事前復興」の取り組みが重要である。

⑦「自助復興」への支援対策が、被災者の復興モチベーションを作り出す。

⑧復興にあたっては強いリーダーシップが重要である。

⑨地震と台風などの複合災害に対する取り組みとして、「対策の一体化」が必要である。

⑩断層の存在や地形・地盤など、地域の潜在的脆弱性(ハザード)に配慮した都市整備が、災害に強い都市づくりには不可欠である。
この本は、今後どこの地域に大きな震災が起こってもおかしくないこの日本において、一人でも多くの人に読んで、手元に置いてもらいたい一冊である


今野 誠一Seiichi Imano
企業経営にあたりつつ、自らも第一線のコンサルタントとして、組織変革コンサルティング、経営幹部教育プログラムや管理職研修のファシリテーション、企業理念構築や経営ビジョン構築ワークショップのファシリテーションなどを担当している。